書家 金澤祥子さん
新潟 山形地震で 被災された皆様に
心より お見舞い申し上げます
一日も早く 元の生活に戻れるよう
お祈り申し上げます
みなさん こんにちは
写真は 文京区にあるお寺の 護国寺です
都会の 真ん中に こんなに緑が と 思うほどの
気持ちの良い場所が広がる 真言宗のお寺です
書家の 金澤翔子さんが 護国寺に
いらっしゃる日があると知り 伺いました
テレビで 金澤翔子さんのことを知り
私自身が 長年 書道を 習っていたこともあり
金澤さんの 書を 見てみたい お会いしてみたいと
思っていたのです
18日は 観音様の ご縁日で
護国寺の ご本尊様の 如意輪観音菩薩様に
月に一度 お会いできる日です
秘仏様 なのです
その 如意輪観音菩薩様の 目前で
今日は 金澤翔子さんの 書が 見られるという事です
登場した 翔子さんは 黒い袴に 赤い帯を締め
とても 可憐でした
集まった人々が 一気に笑顔になりました
小柄な 身体の 翔子さんが書く字は
とても ダイナミックなものでした
書道は 綺麗に書く人 繊細に書く人
個性のある字を書く人 様々ですが
私は ダイナミックに 半紙から はみ出るような
勢いのあるものが 好きです
翔子さんの 書く字には 一気に 心惹かれました
(うわぁ 凄いっ )
感動してしまいました
書き終えた書を
お坊さんたちが みんなに見えるように
持ち上げて 見せてくださいました
すごい 達筆です
素晴らしいです 拍手喝采でした
そして
「少し 時間が余りましたよ・・・
どうしましょう? 皆さんから 翔子さんへの
質問なんて どうでしょうか ?」 と
主催の方が 促しました
すると 翔子さんが
「では ダンスを 踊ります 」と嬉しそうに言いました
お母様は
「え~ ダンスぅ・・・・・翔子ちゃん・・・・」
と 笑顔でやや絶句
翔子さんは ご自身のスマホで 曲を 準備しました
翔子さんの お母様(書家の 金澤泰子さん)が
「うちの 翔子は 実は ダンスがとても好きなんです
どうぞ 皆さま 見てやって下さい」と 笑顔で言いました
そして 寺の 本堂に 何やら ビートの良い曲がかかります
(え この前奏・・・マイケル・・・)
まさかの 寺で マイケルとは
曲は マイケル ジャクソンの 「ビート イット」でした
皆が ワッと 歓声をあげ 翔子さんは とても嬉しげに
右へ 左へと 小気味良いダンスを 繰り出します
振り付けは マイケル そのものです
もう 会場の 皆が 底抜けに明るい 翔子さんに 夢中です
そして その後 マイクを 手に取った 翔子さんが
またも まさかの ボイスパーカッションを 披露しました
会場は あっけにとられる人 歓声をあげる人
いつの間にか みんな 手拍子を合わせて
さながら ライブ会場のようになりました
そして 翔子さんの 書だけではない パフォーマンスが
終了すると
お母様と 翔子さんが 並んで 客席側に ぺこりと
会釈をし
向きを変えて 2人並んだまま 本堂中央の観音様にも
ぺこりと 会釈をしました
皆が その様子をみて 笑いました
秘仏の 観音様の 目前で マイケルからの ボイパ ですから
観音様も 「今日は良いものを 観せてもらった」と
笑っておられたのではないでしょうか
翔子さんは およそ 30年前
ダウン症で 産まれてきました
30年前は 障害のある人に対しての
世間の風当たりは 今とは全く違うものであったそうです
お母様は あまりに苦しい胸の内をつづろうと
翔子さん 誕生から 日記を書き始めたそうです
その 日記の 最初には
「今日 私は 世界で一番不幸な 母親です」と
書いたそうです
これから どうしていけば・・・と 絶望の毎日だったそうです
しかし 思いがけなく 翔子さんが 活躍をして
障害を持つ人の 日本の代表として 国連の会議にまで
出席し つたない言葉ではあったけれども
会議で 自分の意見を 述べたそうです
そのとき お母様は 「今日 私は 世界で一番幸せな母親だ」と
思ったそうです
「物事は 時と共に移り変わる
絶望することが あっても 生きてさえいればいいと
皆さんに お伝えしたい」と
お母様は 話されていました
優しいお母様が 翔子さんと 乗り越えてきたであろう
苦難の年月に思いをはせました
書は 護国寺に 奉納されるそうです
会場に 翔子さんに関する書籍の 販売があり
翔子さんのことを 知りたかったので
1冊 買ってみました
そうしたら 翔子さんが サインをしてくださいました
うれしかった
今回の ブログは 文章が長くなってしまいました
読んでいただいて ありがとうございます
ではまた